東京国立博物館で「中尊寺金色堂展」が開催されているという記事を読みました。そういえば去年(2023年7月)平泉を訪れたときのことを、まだ記事にしていませんでしたね!ということで今回は、奥州藤原氏ゆかりの名蹟巡りをお届けします。
Table of Contents
一ノ関へ
前日に宿泊した仙台から一ノ関へ。一ノ関駅で新幹線の通過風景を見たんですけど、身の危険を感じました。普段東海道新幹線… 最高時速285キロを見ているワタクシとしては、東北新幹線… 最高時速320キロは異次元の迫力!
あれピカチュウ?
行きたい場所とアクセスを調べたところ、公共交通機関で訪れるのはちょっと大変そうだったので、レンタカーを借りに行きました。…というか、そもそもレンタカーを借りること自体始めてで、ちょっとドキドキ。
そして最初の目的地、毛越寺へ。
毛越寺(もうつうじ)
このお寺は、奥州藤原氏の二代:藤原基衡が建てたお寺です。とにかく物凄く広くて!素晴らしいお寺だったようなのですが、建物のほとんどは焼失し、今では建物の遺構と素敵なお庭を楽しむ場所になっています。
この日は25度くらいで、非常に涼しかったです。…東北だからなのか、お天気のせいなのか。最近ずっと35度くらいだったので、快適☆
昔はこんな素晴らしい伽藍だったようです。寝殿造ですね!
凄く大きい!本尊は薬師如来で、脇に日光菩薩と月光菩薩が安置されています。
蓮が咲いていました☆ 昔母校の近くにハス池があったのですが、咲く頃は毎年夏休みなので、咲いたところを見たことがありませんでした。
池には船が!平安貴族って感じです☆
あたりは新緑で、凄く空気がおいしい☆ 秋は紅葉で綺麗なんだろうなぁ~。
本尊は宝冠阿弥陀如来。
という感じで、池の周りをグルっと回って、お散歩終了です。京にも負けない奥州藤原氏の栄華を象徴する場所… 当時は素晴らしかったんでしょうね。いやもちろん、一般人が立ち入れる場所ではなかったと思いますが(笑)。
高館義経堂(たかだちぎけいどう)
再び車に乗り込んで少し進むと、高館義経堂があります。ここは源義経終焉の地であり、松尾芭蕉があの有名な俳句を詠んだ場所なのです!
山を少し登っていくと、階段があります。そこを登り切ると、
北上川の向こうに古戦場が見えます。
「夏草や兵どもが夢の跡」
あまりにも有名なあの句が詠まれたのは、この場所だと言われています。そもそも、『おくのほそ道』は、昔歌枕に詠まれた有名な場所を訪れてみるという趣旨のもと、名所名蹟を訪れてみたものの、わりとがっかりすることが多い、という作品です←という説明が正しいのかどうか(笑)。
ワタクシ的には、以前ミュージカル『刀剣乱舞 つはものどもがゆめのあと』にハマった時期があったので、一度訪れてみたいと思っていた場所でした。…北上川大きいなぁ~というのが、その日の感想。
ちなみにこの山の向こうに、陸前高田市があるようです。…岩手県に降り立ったのは初めてだったので、土地勘がよくわからない。
そして、源義経公がお祀りされているのですが、「義経必勝絵馬」はさすがにちょっと厳しいものがありますよね(汗)。でも、小学生のワタクシにとっての歴史上のヒーローベスト3に、源義経は入っていましたよ☆
そうそう、京から日本海側を通って、落ち延びていった義経一行ですが、ワタクシが住んでいる市を通って行ったんですよ。愛発関のエピソードは、『義経記』にも書かれています。ワタクシたちは、新幹線で高速移動したわけですが、それでもかなり時間がかかりました。義経や弁慶は、この長い道のりを人力で移動したのだと思うと、感慨深いものがありましたね。
そして、次の目的地へ。
中尊寺
まずはお昼ごはん。岩手といえばわんこそば!これは、一杯ずつ入れてくれるスタイルではなくて、12杯セットのものだったんですけど、つるりと食べられましたね。隣の席の男性は、倍のセットを注文されていました。
…お魚の出汁が効いていて、ワタクシ的にちょっとピンチでした(小声)。
そしていざ中尊寺へ!と歩を進め始めたのですが、坂道急すぎん!?…写真ではあまり伝わらないのが残念ですが。
完璧に、山ですね、ここは。
そして、あっという間にこの眺め。…足腰に自信のない方にはオススメしません(汗)。
あら。オシャレな郵便ポスト☆
そして本堂へ。
中尊寺というと、金色堂があまりにも有名ですが、法要儀式が多く行われるのはこちらとのこと。
道を進むと、
お待たせしました。金色堂です。教科書で見たことあるあそこです!ただ、ワタクシはこの建物が金色堂だと思っていたのですが、
実際には、この建物の中にあるのが金色堂なんですね。要は、風雪を避けるために覆いとして建てられているのが、あの建物(覆堂)なんです(知らなかった)。
堂内は撮影禁止です。
金色堂自体は金ピカであるものの、意外とこじんまりしていました。ただ驚いたのは、金色堂に安置されている仏像群の下に、奥州藤原氏四代のご遺体が安置されており、ミイラ化しているとのこと!
中央には、藤原清衡公… 広範囲に白骨化しており、一番状態が悪い。
向かって左側には、藤原基衡公… 顎、手足の先のみ白骨化。
向かって右側には、藤原秀衡公… ほぼ全身ミイラ化。ネズミによる被害が大きい。
そして、藤原泰衡公の首桶が置かれているとのこと。
ちなみに、2024年1月23日(火)~4月14日(日)まで、東京国立博物館で「建立900年 特別展『中尊寺金色堂』」が開催されています。正直なところ、現地では、見学エリアから金色堂の内部の仏像群までの距離が遠く、あまりよく見えませんでした。よって、博物館でのほうがよりじっくり鑑賞できそうな気がします。
…いやいや、現地に着いたら、ポスターが貼ってあって、「え?今仏像様はお出かけ中なの!?」と思ったら、会期はまだでホッとしました(笑)。
金色堂周辺には、宮沢賢治の詩碑もありました。
「五月雨の降り残してや光堂」
松尾芭蕉の句碑や銅像もありました。…そうそう、先程我が市には源義経一行が通った、と書きましたが、松尾芭蕉は逆に北から我が市を訪れ、何句か残しています。ってことは、岩手は歩いてでも行けるってことですね(笑)。
…実は我が市が提供している万歩計アプリがありまして、おくのほそ道をたどるツアーができるんです。半年くらい使っているのですが、今深川から仙台、中尊寺を通って、秋田県の酒田手前まで来ています。あと半年くらいあれば、制覇できるんじゃないですか(笑)。
話はそれましたが、
こちらは旧覆堂。覆堂は風雨等で傷んでくるため、何度か建て直されているとのこと。
野外能楽殿!?…というか、ここお寺だったよね。白山神社!?
今でも、催し物が行われているそうですよ。明治天皇も行幸された場所だとか。
武蔵坊弁慶を演じた俳優さんというと、ワタクシ的には松平健さんが真っ先に浮かびます。…某ピカピカのお殿様やない(笑)。
という感じの、中尊寺でした。想像よりかなり広くてアップダウンがあったので、ここを訪れるだけで修行になりそうでした。実際に行ってみないとわからないことも、たくさんあるものですね!
まとめ
中学校の授業で『おくのほそ道』を学んでから、一度訪れてみたいと思っていた場所だったので、この日の感動はひとしおでした。しかも、実際行ってみないと、見てみないとわからないことだらけだったので、非常に貴重な体験でしたね。
この一日で、奥州藤原氏四代の名前は確実に覚えました!…今まで日本史で結構苦手だったんですけど、克服できましたね(笑)。
ちなみに、この3箇所は、わりと近くにあるので、平泉駅から徒歩で行けないこともありません。ただ冒頭にも書いたように、岩手県内自体広いため、レンタカーを借りて移動することをオススメします… 実際、駐車場もレンタカーが多かったです。
しかも、ホテルの選択肢があまり多くありません。温泉とかかな?となるとやはり車は必要です。
実はこの日は、もう1箇所訪れたい場所があったのですが、スケジュール的にちょっと詰め込みすぎたかな?と反省しました。…何せ、岩手県のドライバーさんたち、みなさん超安全運転なんですもん(笑)。移動時間が予想より多くかかったのは誤算でした。
ということで、この後に訪れた場所については、次回の記事で紹介します。